ざれごと

今日のざれごと #87夜目:誰に対しても愛想よく

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こんばんは、いとまさです。

誰に対しても愛想良くすることが、自分にとって得だとは知りつつも、なかなかそれができずにいる。

そんな27歳無職の男です。


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貰いたければ与えよ

色んなお偉いさん・成功者が言ってる物事の真理の1つに

「貰いたければ、まず与えよ」

ってのがある。

ほぼ成功者のほぼ全員が言ってることだし、俺自身、何かしてくれた人にはお返しをしたいと思うことを多々あるから、

この「貰いたければ、まず与えよ」ってのは、合ってるんだろうね。

でも、この”まず与える”ってのが、どうも難しい。

なぜかって、別にお金とか物が減って、損するからではない。

別に、自分から与えることで損するものばかりじゃないしね。

例えば、挨拶とか。

「仲良くなりたいな〜」とか、一種の”貰いたい”を感じたら、

自分から声をかけて”先に与える”

でも、こんな簡単なことができなかった。

自分でもなぜかよく分からなかったけど、今日その理由が分かった。

「貰いたい」という下心がイカンのね

なぜ”自分から与える”ということができないのか?

結論から言うと、

自分の行動の根本にある”貰いたい”という下心があることを知られたくないから

だった。

上記した「貰いたければ、まず与えよ」っていう言葉を意識しすぎたあまり、”与える”という行動全部が”貰いたい”という気持ちに紐付いてたんだね。

だから、自分から人に何かしてあげることに対して、

やましい気持ち?、恥ずかしさ?、遠慮?

みたいな、よく分からんマイナスな感情を持ってた。

さらに言うと、自分から人に何かしてあげてる人に対しても、

こんな感情や「何か目的があるのでは?」と、疑いの感情を持ってた。

歪んでるね〜。我ながら。

全ての原因はやっぱり、”貰いたい”という下心から来るんだと思う。

だから純粋に人に与えることを楽しんでる人は、変な抵抗を感じずに行動できて、それが結局”貰う”ことに繋がる。

「貰いたければ、まず与えよ」

これはそうなんだけど、さらに言うなら、”貰う”ってことを意識しちゃダメだよね。

貰えないとしても与えることを楽しむ、

「貰えなくても与えよ」

これが真理なのかも。

貰うことを意識せず、与えることを楽しんで、誰に対しても愛想よく

なので、ただ単に、人に与えている自分を好きになることが大事だね。

貰うために与えるんじゃなく。

与えているという事実に満足。そんな自分に満足。

もっと具体的に言うと、誰に対しても愛想良くしてる自分に満足する。

そんな自分を好きになる。

「何か貰おう」とか、見返りを考えて、人を選んで与える(愛想良くする)のではなく、

誰に対しても愛想良くして、そんな自分を好きになろう。

てわけで、いつもニコニコ現金払い。

以上おわり!おやすみ〜



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