こんばんは、いとまさです。
誰に対しても愛想良くすることが、自分にとって得だとは知りつつも、なかなかそれができずにいる。
そんな27歳無職の男です。
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貰いたければ与えよ
色んなお偉いさん・成功者が言ってる物事の真理の1つに
「貰いたければ、まず与えよ」
ってのがある。
ほぼ成功者のほぼ全員が言ってることだし、俺自身、何かしてくれた人にはお返しをしたいと思うことを多々あるから、
この「貰いたければ、まず与えよ」ってのは、合ってるんだろうね。
でも、この”まず与える”ってのが、どうも難しい。
なぜかって、別にお金とか物が減って、損するからではない。
別に、自分から与えることで損するものばかりじゃないしね。
例えば、挨拶とか。
「仲良くなりたいな〜」とか、一種の”貰いたい”を感じたら、
自分から声をかけて”先に与える”。
でも、こんな簡単なことができなかった。
自分でもなぜかよく分からなかったけど、今日その理由が分かった。
「貰いたい」という下心がイカンのね
なぜ”自分から与える”ということができないのか?
結論から言うと、
自分の行動の根本にある”貰いたい”という下心があることを知られたくないから
だった。
上記した「貰いたければ、まず与えよ」っていう言葉を意識しすぎたあまり、”与える”という行動全部が”貰いたい”という気持ちに紐付いてたんだね。
だから、自分から人に何かしてあげることに対して、
やましい気持ち?、恥ずかしさ?、遠慮?
みたいな、よく分からんマイナスな感情を持ってた。
さらに言うと、自分から人に何かしてあげてる人に対しても、
こんな感情や「何か目的があるのでは?」と、疑いの感情を持ってた。
歪んでるね〜。我ながら。
全ての原因はやっぱり、”貰いたい”という下心から来るんだと思う。
だから純粋に人に与えることを楽しんでる人は、変な抵抗を感じずに行動できて、それが結局”貰う”ことに繋がる。
「貰いたければ、まず与えよ」
これはそうなんだけど、さらに言うなら、”貰う”ってことを意識しちゃダメだよね。
貰えないとしても与えることを楽しむ、
「貰えなくても与えよ」
これが真理なのかも。
貰うことを意識せず、与えることを楽しんで、誰に対しても愛想よく
なので、ただ単に、人に与えている自分を好きになることが大事だね。
貰うために与えるんじゃなく。
与えているという事実に満足。そんな自分に満足。
もっと具体的に言うと、誰に対しても愛想良くしてる自分に満足する。
そんな自分を好きになる。
「何か貰おう」とか、見返りを考えて、人を選んで与える(愛想良くする)のではなく、
誰に対しても愛想良くして、そんな自分を好きになろう。
てわけで、いつもニコニコ現金払い。
以上おわり!おやすみ〜